9月も下旬に入ってようやく北海道産“新そば粉”が手に入り 8月終り頃から予約でお聞きしていたご注文の品をほとんどすべて発送終わりました。
大変好評で 私自身も近来にない出来だと感じました。品種の改良とか栽培方法とか生産者の方々の種々の改良など日頃の御苦労が思われます。
福井の生産地でも県の農業試験場をはじめとしていろいろと試行錯誤で改良を重ねているようですが いかんせん天候に作用される部分が多く なかなかその努力が報われないのが現状の様です。
福井では西暦1602年の徳川家康公の次男結城秀康公が大阪の陣での戦功により越前福井への赴任を命じられた時の先兵として現在の越前市へ先に入府した本多富正公が 救荒作物としての“蕎麦”を勧めた結果越前福井に根付くことになったといわれております。本多富正公がいわば“越前そば”のルーツとされているわけですが 本多家はもともと三河以来の徳川家の譜代の家臣で 富正公も家康公の影響を受けているものと考えられます。よく言われていることですが家康公は大変質素な方だったということですが その昔は“蕎麦”は貧乏人の食べ物といわれていたそうであります。米の育たないような山際の土地でも焼き畑などにより“蕎麦”がよく出来たところから 場所のよいところは米を植え米などの育たないところに“蕎麦”を植えた すなわち良い場所をもっていない貧しい方々が“蕎麦”を植え それを常食にしたということであろうかと思います。家康公の薫陶を得た方々のおさめた地方で現在も“蕎麦”がたくさん植えられ県民のみなさんに好まれていることを思えば(たとえば東京・静岡・長野・福島・福井・島根などなどいずれも徳川家と縁の深い土地柄)家康公とそばとは切っても切れない縁でつながっていると言えるのではないでしょうか。
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